ゆるケン

法律事務職員のなでしこです。憲法についてゆるく語っていきたいと思います。

よみがえる神権的天皇制


f:id:constitutionalism:20210404112035j:image

よみがえる神権的天皇

はじめに

自民党改憲草案については、大日本帝国憲法のような古色蒼然とした草案だとか、慶長の御触書だ(※1)といった批判もあれぱ、第1次案の取りまとめ責任者を務めた舛添要一氏から「憲法というものについて、基本的なことを理解していない人々が書いたとしか思えなかった」という意見もあります(※2)。


自民党改憲草案は古色蒼然とした時代遅れのものだという憲法学者の批判は、そのとおりだとしても、単に古いだけの 、憲法の役割を理解していないお粗末なものなのでしょうか。

 

そもそも 安倍政権は、現行憲法9条を無視する解釈改憲を行い、安保法制の強硬採決を行い、また、野党側が求める臨時国会の召集の要請を、憲法の規定を曲解してこれに応じないなど国会軽視の態度は甚だしく、このままでは立憲主義が危ういと指摘されてきました。


また、自民党改憲Q&Aには、「この改正により人権が大きく制限されるものではありません」という言い訳がたびたび出てきますが、選挙が終わるたびに、選挙前には語られなかった論点について、国民の理解が得られたと言い張る安倍首相や自民党の不誠実な態度に鑑みれば、憲法改正後に、大幅な法改正を行い、憲法上の国民の義務を法律で具体化していくだろうということは容易に想像できるのです。

 

私は、憲法学者のように法学の常識な見方だけで、草案に込められた思想を読み解く、あるいは更なる改憲の方向性を推測することは難しいように感じるのです。

 

改憲をめざす人たち

そもそも改憲勢力憲法改正によってめざすものは何なのか。そこから確認してみましょう。
まず、だれでもアクセスすることができる、小畑幸三郎さんがYouTubeにアップしている動画を見てみましょう。
最初に自民党改憲草案の起草委員に名前を連ねる礒崎陽輔衆議院議員
「天賦人権説、習ったと思います。ヨーロッパの 市民革命によって人権は獲得されたと。そのときに、これは元々自然権であると、神様から与えられた権利であるという書きぶりのところ、日本国憲法はこれにならっている。この神様は日本の神様じゃないんです。まあ言うまでもなくキリスト教の神様。日本は神道、仏教でありますから、なんでキリスト教の神様なんかから与えられた天賦人権説なんか。それ全部削りましたから。97条なんてあったけど、全部ストーンと切り落としましたけど」

また、同じく草案起草委員の西田昌司参議院議員
「自分たちの権利の、主権の源はどこにあるのかといえば、天皇陛下という、皇室ということをひとつの媒体にしながら、歴史の流れの中にこそ主権の意味がある」
長勢甚遠法務大臣
憲法草案というものが発表されました。正直言って不満があります。一番最初にどう言っているかというとですね、国民主権基本的人権、平和主義、これは堅持するって言っているんですよ。この3つをなくさなければですね、本当の自主憲法にはならないんですよ」
「例えば、人権がどうだとか言われたりすると、あるいは平和がどうだとか言われたりするとおじけづくじゃないですか。それは我々が小学校からずっと教え込まれてきたからです。それを立て直すのは大変な作業です」
城内実元外務副大臣
「日本にとって一番大切なことは何か。私は皇室であり、国体であると常々思っております。我々の歴史と伝統文化、国柄をしっかり守るためも皇室をしっかりと支えていかないといけないと思っております」
稲田朋美防衛大臣
「国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違っていると思います」
「今、私たちが生きているのは、私たちの今の生活だけが大切なんじゃなくて、先人から引き継いできた....世界中で日本だけが道義大国を目指す資格があるんです」
「国民の一人一人が、皆さん方一人一人か自分の国は自分で守る、そして、自分の国を守るためには血を流す覚悟をしなければならないのです。決死の覚悟なくして、この国は守れません」

勇ましい発言と一括りにすることは簡単ですが、その底流に共通するものを探ってみなければなりません。

 

ところで、安倍政権では日本会議国会議員懇談会神道政治連盟国会議員懇談会に属する閣僚か大勢を占めていることは周知の事実です。そして、日本会議神社本庁こそが改憲を進める運動の主体であるわけですから、この界隈の思想を垣間見るとき、改憲草案に潜む思想が見えてくるのではないでしょうか。

 

最も価値をおくもの

そこで、改憲勢力が最も価値をおく天皇制について 理解を深めようと、片山杜秀島薗進 『近代天皇論ー神聖か象徴か』(集英社新書)を読んでみたのです。
象徴天皇制を当然のことのように考えていた私は、これまで、草案は1条で天皇は「日本国の元首」という点を加えた以外には大きな変更点はなく、現行憲法の1条と大きな違いはないと思っていました。


ところが、この『近代天皇論』を読んだのち、改めて天皇制に関係する草案を読み返してみると、草案の天皇制はもはや現行憲法象徴天皇制を否定しているのではないかと思うようになったのです。

まず、草案の前文の第1段落
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づい統合される」の部分。
「長い歴史と固有の文化」「天皇を戴く国家」というのは、日本が天照大神から続く神の子孫であり、万世一系の系譜を持つ天皇家の下に途絶えることなく続いてきた世界にも他に例をみない国と言いたいのではないかと。

天皇の国事行為

草案の他の条文に当たってみます。まず、天皇の国事行為について。
現行憲法は、天皇憲法の定める「国事に関する行為のみを行ひ」として、天皇は政治的決定権限をもたない(質的制限)、国事行為については憲法に列挙したものに限る(量的制限)としています。
加えて、国事行為ではない公的性格を帯びた行為(公的行為)については、憲法には明記されていないものの、学説実務とも、解釈として認めたうえで、国事行為に準じて内閣のコントロールに服するという立場をとってきました。
ところが草案は、天皇は「国事に関する行為をおこない」として(「のみ」を削除)、さらに公的行為について、明文の規定を設けるものの「式典への出席その他の公的行為をおこなう」という曖昧な規定にして、公的行為の範囲を実質的に無限定なものにしています。


また、現行憲法天皇の国事行為に内閣の「助言と承認」を必要としていたものを、内閣の「進言」に留め、天皇の公的行為に対しては、内閣の進言も内閣の責任も求めていません。

 

そもそも象徴天皇制国民主権原理と整合するように創設されたものです。
天皇の行う国事行為をすべて内閣のコントロールの下に置くこと(3条)と、天皇が「国政に関する権能を有しない」と定めた4条と相まって、象徴天皇制の核心的内容を形成しています。
内閣が、天皇の国事行為に対する「助言と承認」を通じて実質的決定を行うことになるので、内閣が責任を負う。その責任とは、内閣の国会に対する政治責任であり、合議体としての内閣が一体として責任を負う(66条3項)ことになります。
仮に国事行為を巡って問題が起きた場合、内閣は国会にその経緯を説明する義務を負い、国会の信任を失えば、内閣は総辞職することになるのです。


このように天皇の権能を厳格に限定し、責任政治の原則に従い、無問責の天皇の責任は内閣が負う、これは国民主権を守るための仕組みとなっているのです。
ところが草案では、こうした天皇に対する制約が大きく失われることになります。

 

天皇憲法を守らずともよい?

また、草案は、天皇憲法尊重擁護義務を削除しました(草案102条)。
現行憲法(99条)は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」として、天皇に対しても憲法尊重擁護義務を課しています。
そのため、草案のように天皇憲法尊重擁護義務を削除することは、例えば、天皇が国事行為に関する「内閣の進言」に従わずともよいことなりかねません。


日本国憲法によって創設された象徴天皇制は、自民党改憲草案による憲法改正によって、憲法上のコントロールに服さないことになる。これはもはや象徴天皇制ではありませんし、このような考え方は、天皇立憲主義の外側にあることを暗示しているように思われます。


さらに、憲法改正に関する草案100条2項の規定(現行96条2項の改定)と、国民に憲法尊重擁護義務を課す草案102条1項(新設)からは、国民に憲法改正権がないとも読めます。

そもそも憲法は国家が遵守するもので、憲法制定権者である国民は、天皇及び公務員が憲法を尊重・擁護することを監視する立場に立つとするのが近代憲法の原理です。

国民に憲法尊重擁護義務を課す規定(草案100条2項)を受けて、現行の国家公務員法のように法律上の義務として国民の憲法尊重擁護義務を具体化することが予想されます。


そうなると憲法が改正手続きを定めているとはいえ、いったん施行された自民党改憲草案の憲法を、元に戻そうとする運動を国民が起こしたときに憲法尊重擁護義務違反が問題にされることになるでしょう。
これでは国民に憲法改正権がないのも同然です。


憲法改正権は、憲法制定権力を憲法上制度化したものと言われています。国民に憲法改正権がないとなること、つまり国民を憲法制定権力として認めないということは、国民は主権者でないという論理以外のなにものでもありません。
つまり、自民党改憲草案が成立・施行された後、憲法改正国民投票は、天皇からの恩恵として国民の意見は聞くけれども、憲法制定権も憲法改正権も天皇にあるのであって、この国の主権者は天皇である、と言っているように受け取れます(次章で詳述します)。

 

なぜ大日本帝国憲法への回帰なのか

安倍首相など日本会議に近い面々は「明治維新以降、日本が最も素晴らしかった時期は、国家が一丸となった終戦までの10年」を理想としていると言われています(※3)。ただし、その10年の間には1935年の天皇機関説事件、1945年の終戦があるわけですが。

 

一方、2017年、当時の今上天皇生前退位を巡って政府の有識者会議のヒアリングで右派からは次のような意見や天皇の「おことば」に対する批判が出されました。
前出の『近代天皇論』から紹介します。

櫻井よしこ氏(日本会議系の美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表)は、有識者会議でのヒアリングや新聞の取材に対して、
天皇の役割は国民国家のために祭祀を執り行ってくださるということ」
「求められる最重要なことは、祭祀を大切にしてくださるという御心の一点に尽きる」
天照大神の子孫の神々様から始まり、神武天皇が即位なさって、神話が国になったのが日本だ。その中で皇室は重要な役割を果たしてきた」
と述べ、神社神道の思想をストレートに出し、戦後の政治と社会が注意深く避けようとしてきた神話をもとに政治を語る考え方をよみがえらせている。

また、東大名誉教授小堀桂一郎氏は、新聞の取材に対して、
天皇生前退位を可とする如き前例を作ることは事実上の国体の破壊につながるのではないかとの危惧は深刻である」
と答えているが、この意見は神聖天皇制を端的に物語っている。

『近代天皇論』の著者の島薗進氏は、次のように論じています。

戦前の国体論が国家神道と不可分の関係にあり、「国体」が宗教的な意味を含んで語られてきたように、神話的な始原に遡る神的天皇という宗教的観念から、右派論者は、生前退位天皇の神聖性を脅かすと主張しているとみている。だから、彼らは、天皇が同じ人間として国民と共に歩んでいこうとする象徴天皇制のあり方に反対している。

このことから、日本会議、その中核の神社本庁生長の家などの宗教団体が、憲法改正を通じて神権的天皇制の復活を企図している、そう疑ったとしても、あながち外れているとは言えないのではないかと思うのです。


日本会議の正体』(※4)によると、日本会議の基本運動方針は「①皇室の尊崇、②憲法の改正、③国防の充実、④国家教育の推進、⑤伝統的な家族観の重視」であるとあります。


そして、『日本会議の正体』によれば、「日本会議の大元は生長の家」であり、生長の家創始者谷口雅春は「天皇絶対神」とし、「国民主権の放棄と天皇主権、現行憲法の放棄と明治憲法体制への復活」を唱えているとあります。

国民は主権を返上しよう

こうした天皇観に関連して気になるのが、草案の第3章「国民の権利と義務」なのです。


自民党改憲Q&Aは天賦人権説をやめたといい、また先に紹介した礒崎陽輔衆議院議員の発言に加えて、起草委員の片山さつき参議院議員も、「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権説をとるのはやめよう、というのが私たちの基本的な考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて、国を維持するためには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました」とツイートして、天賦人権説を否定しています(※5)。


そもそも天賦人権説は、神から人権を授かったという一神教的な前提に立つものではありません(※6)。戦後これまでも多くの保守系政治家から、人権は「人が人であることのみを理由として、生まれながらに有する権利」と理解されてきたのではなかったのでしょうか。


基本的人権は、自然権思想を思想的淵源にしていますが、現代では、「人間が社会を構成する自律的な個人として自由と生存を確保し、その尊厳性を維持するため、それに必要な一定の権利が当然に人間の固有するものであることを前提として認め、憲法以前に成立していると考えられる権利を憲法が実定的な法的権利として確認したもの」(芦部信喜憲法』) と理解されています。


いずれにせよ、「天賦人権説を採用しない」との主張は、人々が「生まれながらにして有する権利」などないと言っているにほかならいのです。

 

では、草案では基本的人権をどのように考えているのでしょうか。
草案12条、13条を見ると、自由と権利には義務が伴うだの、公益に反しない限り尊重されるなどとあって、「お上」が国民に人権を与えると言いたげです。


ここでの「お上」は国民主権のもとで成立する国会や内閣、裁判所などの国の機関であろうはずがありません。むしろ、大日本帝国憲法と同様に、「お上」とは天皇であり、国民の享受する人権は、天皇が臣民に恩恵として与える臣民権にほかならない、そう読み取ったほうがすっきりします。
しかし、君主固有の権限と説明された恩恵としての臣民権も、国民主権が疑いようのない現代にあって理論的に説明できないはずです。
そもそも西欧の専制君主の権力は、神などの超越的なものに由来するという位置付けですが、日本には、西欧のように神から権限を与えられた国王が存在したことはありません。なぜなら、高天原から日本国へ降臨した天照大神の子孫である万世一系天皇そのものが神であるのですから。

しかし、自民党と言えども、この現代に神が復活するので国民は基本的人権を返上しましょうとは言えないでしょう。


そこで、この不都合を隠し通そうとする意図なのか、国民の基本的人権を国に「授権」して、国に国民の命を守ってもらう、そのために国民の基本的人権に「制限」を加えるという奇説が登場します。


自民党高市早苗衆議院議員は、これからの憲法には、国民の命を確実に国が守るとか、領土の保全、独立統治というものを確保するために、「国家が新たな役割を担ってもらう授権規範的な要素も幾らかは必要」、「授権規範的な考え方が自民党の草案の中に入った」と言います(※7)。
本来の憲法学上の授権規範、制限規範は次のようなものです。
憲法は、それによって設けられた国家機関、国会には立法権だけを、裁判所には司法権だけを、内閣には行政権だけを行使できるように、憲法によって制限された限りの権限を、主権者・国民から『授権』されている。憲法のこの側面を『授権規範』といい、憲法によって権限を授けられた機関は、その授権の範囲を超えて権限を行使することはできないから、授権規範である憲法は、同時に『制限規範』となる。」

 

高市議員の「授権規範」、「制限規範」は、憲法学的には全く誤用なのですが、私には、彼らが自分たちの思想を隠すために持ち出した辻褄合わせの言葉ではないかと思えるのです。

大日本帝国憲法では、国民の人権は、天皇が臣民に恩恵として与える臣民権にほかなりませんでした。しかし、君主主権の権限と説明された恩恵としての臣民権を、国民主権主義をとるが現代において説明のしようがなく、代わって考え出されたのが「国家に対する授権による人権の制限」という理屈なのでしょう。
ここで、この理屈が、国民主権を初めから否定するものであることを見逃してはなりません。
つまり、国民が、憲法改正国民投票を通じて、多数決により人権を国家に返上する条文を創造できる、結果として、反対する少数者の人権は、多数決により剥奪できるというのです。


そもそも憲法学上、人権規範は主権原理と不可分の関係にあるので、国家に「授権」することで人権を返上するということは、主権を返上することと同じ意味になります。憲法改正により主権を返上するなどという発想には、国民が絶対的な主権者であるという考えなどあろうはずがありません。


そうなると、この草案が考える国の主権者とは、だれを念頭においているのでしょうか。
先に触れたように草案の条文、天皇制や国民の人権規定からは天皇主権主義の思想が感じられるのです。

日本国憲法を覆せ

では、なぜ、21世紀の現代において、そのような発想が生まれてくるのでしょうか。
現政権に影響力を持つ勢力の中に、そんな考えを信奉している人たちがいるのです。


日本会議の事務総長椛島有三氏が機関誌『祖国と青年』に寄せた文章が『日本会議の正体』(※8)に紹介されています。

「日本の政治史は、天皇が公家、武士、政治家に対し、政治を「委任」されてきたのが伝統である。天皇は国民に政治を委任されてきたというのが日本の政治システムであり、西洋の政治史とは全く歴史を異にする。天皇が国民に委任されたシステムに、主権がどちらにあるかとの西洋的二者択一論を無造作に導入すれば、日本の政治システムは解体する。現憲法国民主権思想は、この一点において否定されなければならない」

また、自民党議員の中には、「天皇主権」を唱える生長の家創始者谷口雅春を信奉していると言われる国会議員も少なからずいます。
このように見てくると、冒頭で紹介した閣僚経験のある国会議員の発言も、日本会議の思想、生長の家の教義、自民党改憲草案の条文と思想的に一貫性のあるものとして捉えることができるのではないでしょうか。

 

「2009年に自民党衆議院議員総選挙で大物議員が落選し、世襲議員が残って以降、自民党憲法観は大きく歪んでいった」との指摘があります(※9)。
また、自主憲法の制定は、自民党の党是であると言われますが、2014年の自民党改憲草案は、例えば、中曽根康弘元首相の諮問機関がつくった改正私案(※10)とは全く性質が異なるとの指摘もあります。

 

閣僚のほとんどが日本会議国会議員懇談会神道政治連盟国会議員懇談会のメンバーであること、日本会議の活動方針が明治憲法の復活であることからこそ、自民党に遠慮がちに上品な解釈論を交わすのではなく、改憲勢力の活動を踏まえつつ、徹底した解釈論をもって、草案の持つ真の意図を解き明かすことが必要なのではないでしょうか。

 

草案の各条文を徹底的に読み込むうちに、自民党改憲草案は大日本帝国憲法への復古などという生易しいものではないことが次第に明らかになっていきます。
例えば、天皇制についていえぱ、草案1条、5条、6条、102条など各所に神権的天皇制の復活に向けた精巧な仕掛けが施されていることが読み取れるのです。
具体的な検討は章を改めて進めていきます。

(文中の肩書きは2020年8月当時のものです)

※1 樋口陽一小林節憲法改正の真実』(集英社新書)
※2 木村草太ほか『改憲の争点』(集英社新書)
※3前出『憲法改正の真実』
※4青木理日本会議の正体』(平凡社新書)
※5前出『憲法改正の真実』
※6 法華狼の日記(http://hokke-ookami.hatenablog.com)

「天賦人権論は、天から人権をを与えられたという宗教的な思想ではなく、あくまでも自然権思想を解釈したときに「天賦」という表現が選ばれたもので、天から与えられたという解釈で天賦人権説を批判しようとしても、レトリック以上の意味はない。そもそも「天賦」という言葉は、天に与えられたという原義にとどまらず、生まれつきの資質や人の力で左右できないものを指す。

※7 前出『憲法改正の真実』
※8前出『日本会議の正体』
※9前出『憲法改正の真実』
※10 中曽根元首相は「わが改憲論」(『諸君!』2000年4月号)で、次のように述べている。

天皇のあり方については、私は今の象徴天皇のままでいいと思います。明治憲法では天皇が、権能と権威を兼ね備えた。旧憲法22条は「天皇は陸海軍を統帥す」という条文があり、統帥権の独立と称されることが軍人から叫ばれて、内閣が軽んじられ、これがついには日本が大東亜戦争で敗戦の憂き目を見るに至った1つの原因です。象徴天皇となったのは、日本古来の伝統的なあり方に戻ったと言える」と主張を述べている。また、中曽根元首相が主催した「世界平和研究所」述べています草案13条は「何人も、生来の権利として、すべての基本的人権を享有する。この憲法が保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」としている。